浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(3日目①)〜いわき→広野〜
いわき市内で100km以上走る、3日目!
目次
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(装備編)
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(1日目)〜自宅→埼スタ(ナビスコ予選7節浦和戦)→越谷〜
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(2日目①)〜越谷―(4号線)→小山〜
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(2日目②)〜小山→水戸→いわき〜
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(3日目①)〜いわき→広野〜
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(3日目②)〜広野・Jヴィレッジ→郡山→福島〜
- 浦安から仙台までJヴィレッジ経由で行ってみた。自転車で。(4日目)〜福島→仙台(完結編)〜
朝
この旅の間、夜明けが近づくと目を覚まし、食事をとって走り、日が沈む前にテントを張り、
日が沈んだら火をおこして食事して寝る、というサイクルの生活をしていました。
これね、いいんですよ。体の本来のサイクルで生活している感じ。
今でも「またやろう」と思うのは、この旅の間の体の状態が極めて自然だったから。
太平洋に昇る朝日
というわけで、日の出とともに起床・・・と思ったら、雲に隠れてた。
ちょっと待つ。
ぺかーん!
おおおおお、美しい。
実は私、実家も広島ですし、山の西側ですし、今の家も日の出が見えないので、
ホントに水平線から昇る日の出を見る機会、無いんですね。
日の出を見ると元気になりますね!
6号線をひたすら北上
ここからはひたすらいわき市内をさまよいます。
勿来火力
常磐共同勿来火力発電所。
震災当時、この火力発電所にも津波が来て停止したそうで、
この火力発電所は近隣でも復活が待ち望まれるほど親しまれていたようです。
前日にテントを張ったところからも見えました。
小名浜石油備蓄基地
6号線沿いに走っていると、巨大な石油タンクを発見。
小名浜石油によると、左側のタンクは1つで6万キロリットル。ピンと来ないので25mプール換算してみると、
プール150杯分!
ピンと来ない・・・w
国家備蓄もあるんだろうなぁ、と思いながら通りすぎるのでした。
自転車通行禁止
このへんで初めて雨が降り始めました。
雨が降ると食料が濡れてしまったり、体が冷えてしまったりで大変なのですが、幸いざっと降っただけでした。
そんな時に出てきたこれ。
おい、通れるだろ!
と悪態をつきながら仕方なく国道49号線方面に迂回。3kmほど遠回りしました。
震災の爪痕、変わり果てたJヴィレッジ
このへんから、震災の爪痕が色濃く感じられるようになって来ました。
道路も、浦安ほどではないですが*1時折段差を感じさせます。
若干時間が前後しますが、紹介したいと思います。
四倉漁港
6号線が海に出た頃に現れた、四倉漁港。
ここは道の駅にもなっていて、休憩するならすき家じゃなくてここだろ!という心の声をかき消しながら通過しようとして、目の端に映った驚愕の景色。
なにこれ
津波は知っていましたし、映像を見ていましたが、
口をついて、言葉になったのはそういう4文字でした。
知るというのはこういうこと。
見るというのはこういうこと。
護岸工事
四倉漁港で津波の力を実感したあと、しばらく行くと、護岸工事をやっていました。
浦安では地盤沈下による修復工事の色合いが強いのですが、これはなんというか、護岸自体が全部持っていかれたというか。
でも、この時点ではまだ、「津波って怖いな・・・」と想像がつくレベルの状態でした。
想像がつく恐怖とつかない恐怖、想像を超えるということをまだ理解していませんでした。
すれ違う作業員バス
四倉を通過したのが8時半頃だったのですが、ふと気づく違和感。
妙にバスが多いな・・・
対向車線も、並走も多い。
平日の、この先にはJヴィレッジしかない道で。
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この先にはJヴィレッジしかない。
あっ・・・原発の作業員だ・・・
と気づく。
よく見ると、作業員だけではなくJヴィレッジ周辺での制服組(?)っぽい人たちもたくさん乗っていました。
いわき市内に寮があって、そこからJヴィレッジ経由で福島原発に行くのでしょうが、
何時まで経ってもバスとすれ違う。
いったい何人が働いているんだ・・・
という疑問がこのあたりから嫌な感じで背中を登ってくる。
実のところ、原発の事故について、何一つ実感していなかったことに気づいたのです。
*1:いや、浦安ホントに酷いから!2013年1月現在も、10cmくらいの段差はザラですよ!