サッカー蟻地獄

ガチだったこともあるサンフレッチェ広島サポーター&割とガチな飯田里穂さんファン&割と長い距離を走る自転車の話、などをしています

今求められている人材は学歴とは決して無関係ではない

こんなやりとりが盛り上がってるみたい。

没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たち
学校ってバカを治療してくれんのか
弾氏への応答



僕について
こんなアホーターBlogを書いているが、実は僕も京大出身なのである。
だが、京大の在学中にいわゆるビットバレーベンチャーに出会い、留学とか進学とかをぜーんぶ蹴ってそのベンチャーに就職した。
親には「京大まで行かせたのになんでそんなわけわからん会社に行かせないといけないの」と泣かれ、
アンダーセン(当時)や住友商事ニコンに就職したり、進学したりした学友には「アホかw」と笑われた。
もちろん、少し、いや、大いに後悔したこともあるが、今は後悔していない。



今求められている新卒人材像

僕はベンチャー(上場してはいるが)にいるので、人材確保はまさしく生命線である。
今年は特に優秀な人材確保に力を入れているが、最近の採用基準は結局、

自立的に行動でき、成果につなげられる人間かどうか

を見極める、と言うことに尽きるのではないかと思う。
こんなのどんな業界でも新卒じゃなくても同じだろうけどね。

行動できるかどうか

行動には方向性と推進力があるわけだから、その二つを見ればいい。

  • 行動の方向性を決める価値観や志
    • あまりに自己起因すぎると利己的で暴走しがちだし、あまりに他者起因過ぎるとミーハーになりがち
  • 行動の原動力となる意欲
    • あまりに強いと引かれるし、あまりに弱いと動かせない

成果を出せるかどうか

行動した後は、よりよい成果を出せるかどうかを見ればよいのだから、
影響範囲の広さと、どれだけ続けられるかを見ればよい。

  • その事実を知らなかった人を引き込む知識
    • 不足すると広がらない。
    • 過剰だと知識を調べることに腐心して自分で考えなくなる。
  • よく分からない人にも納得させる頭の良さ。地頭とよく言う気がする。
    • 不足するとたとえ正しいことを言っていても説得力が出ない。
    • 過剰というか、変な方向に行ってしまうと計算高くなってしまう。
  • なんかよくわからないけどそうかも、と思わせるオーラ
    • 強ければ強いほどいいのでは。多分。

いくら巻き込んでも、一瞬で行動が終わってしまっては意味がないので、行動を続ける力も見る必要がある。

  • 耐/対障害性
    • 精神的なストレス、対外的な問題点を乗り越える、解決する力

こういうのをどうも、「コンピテンシー」というらしい。



京大生の特性との関係

そんなに広くくくることはできないけども、在学中の実感だけで書きます。

入学した人は、大きく分けて

  • 何となく高学歴のために入学した人
  • 「俺はここに○○を研究するためにきた!」という人

という人がいるのではないかと思う。程度の差はあっても。

前者はそれなりの努力をしてきたのだが、「京大に行く」という判断を親にゆだねていたり、偏差値が高いからと目的意識を持たずに大学に進学した人に多いようであった。
後者は同じくそれなりの努力をしてきたが、多くの選択肢の中から「京大」を選んでいることが多いようであった。

昔は「地頭」という言葉があるくらいだから、ポテンシャル部分が重要視されたのだと思う。会社はすでに安定した目的を持っており、すでにある事業があり、それを進める力が重視された。
つまり、志や意欲などなくても、

  • 京大という難関を突破した地頭
  • 苛烈な受験戦争を勝ち抜いた耐/対障害性
  • 京大という難関を突破した地頭をもってすれば容易に身に付くであろう知識

をもってすれば、事業を進めていくことができたのである。つまり、ある程度学歴で判断してもはずれは無かったわけである。

しかし、今は違う。今ある事業はいつストップするか分からず、新しいことを始めなければならない会社も多い。そうなると、志や強い意欲を持って、動き始めなければならないのである。こうして、「動き始める力」が相対的に重視されるようになってきた。
そして、これらは学歴では測れないのである。*1



だから・・・
高学歴が不利になっているというのは全く以て勘違いなのである。
「行動を続ける、広げる」という部分で求められる資質はなお、高学歴の学生達が多く持つところである。高学歴の学生は非常に有利なのである。
学歴に関係ない「志」「意欲」を同程度持っているのであれば、高学歴の学生を選ぶことは多いだろう。
事実、当社にはやたらと高学歴保持者が多い。とんがった*2ベンチャーに来るのは、どうしても志や意欲が高い学生が多く、それ故に最終的には学歴勝負*3になることが多いのである。

だから、京大生が不利になっていると感じているのであればそれは全くもって自己起因の「志」や他者起因の「社会性」「意欲」の問題である。
社会のせいにするなどもってのほかである。
「弾よ!君は強い。」なんて、彼だけは別、みたいな話にしても無駄である。
自分を見つめて志す力、世の中をみて問題提起をする社会性、それを推進していく意欲。

これらはすべて自分で乗り越えるべきハードルなのである。*4

*1:まあ、他にも高学歴のいいところとして「要職に就く方が多い」「人脈作りやすい」という事も思ったこともあるが、これは「出身地が同じ」と同じくらいの効力ではないかと最近思うようになってきた。

*2:狂った、とも言う

*3:正確には、「昔学歴で判断されていた能力」による勝負

*4:今、僕は成功しているとは言えないし、後述する志がなかったせいで意欲も失い、生ける屍として3〜4年を過ごした。その結果、社会や会社に求められるには自分が変わるしかないという結論に達したのである(というか、最初から分かっていたのだけれど、意欲を取り戻すまでに多くの時間を要した)。